昨年読んだものですが記事を書いていなかったので。
ちなみに、著者のブログはこちら。文体が好きです。はてなブログですがフォント設定が可愛い……。
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王木亡一朗氏の『Lost in Conversation』を読みました。
急ぎめに読んだあと、23日の文学フリマ東京で初めて王木さんご自身にお目にかかって会話を交わしたので、もう一度読みました。これ重要な点で、再読に耐えうる本だってことです。面白いんですよ。
「王木さん、ちょっと書き方のポジション変えられたんですか?」
「そうですね〜」
なんて言葉を交わしたのですが(この私の知ったかぶり具合!)再読したあとで思ったことは、《王木亡一朗、平常運転じゃないか!!》でした。平常心でしたよ。変わらないですよ。そんなに豹変してないですよ。その点もっと書き尽くしたいのですが、私は今、23日に提出するべき原稿を、原稿用紙からMacに写す作業をしないと申し訳なくて背骨がひん曲がる状況にありますので今はここ迄。面白かった本かと云えば、良かったです、良かったです。今後大作家になる前に知っておいた方がハピネスですよ。
『このセルフパブリッシングがすごい!2016』で私が4位に挙げた、通称『アワナン』も本当に良かったです。こういう本を書くひとが、同じ昭和60年生まれだなんてなんだか嬉しい。私は早生まれなので、詩誌84に交じったり昭和60年生まれだわーと云ったりする蝙蝠野郎です。最果て。
王木亡一朗:作品一覧、著者略歴
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note.mu
王木氏の電子書籍の著作は、楽天koboやiBooks Storeでも購入出来ます。私は本当はiTunesStoreで買う電子書籍が一番好きです。
私が初めて読んだのは『夏の魔物』でした。そのあとはずぶずぶ。好きですよ! 飛ぶ前に読め!
夜通し栓抜きを探し、原稿用紙を探し、泣きながら過ごしている十一月の末です。私が泣くことよりも、締切日を過ぎても提出していないことの方がいけないことです。最果て。
文学フリマはURLやtwitterのハッシュタグ上ではbunfree、フリーマーケットならばflea marketというスペリングだからbunfleaと書くのが正しいと指摘するひとがいますが、文学フリマは主催側から恣意的にfreeという表記を使っています(公式サイト参照)。
23日は第二十三回文学フリマ東京にて本を売っていました。『すな子へ』と『オートカクテル2015耽美』の売れ行きがよかったので、画家さんによる本は強いなあ、と思いました。前者は冨田風子氏、後者はなかの真実氏の画の装幀です。
文藝誌オートカクテル2015 耽美 (白昼社文藝誌オートカクテル)
久しぶりに斜めさんのお姿を拝見して、ちょっと泣きそうになりました。最初、ふわっ斜めさんっふあっ!とか云いながら嬉しくて、斜めさんに触るか触らないかの手つきで掌をひょろひょろさせていたら、「なんでエアなんですか」と突っ込まれ、そして肩を抱かせて頂きました。ああ!
他にも出逢えた方々。電子書籍を書いていらっしゃる方々や、でんでんコンバーターのろすさんがブースに続々といらっしゃって驚きました。電子書籍を書きながらtwitterなどで知り合って、では文学フリマというものに行ってみようかなと思って下さったなら、ありがたいことです。皆さん、twitterアイコンに似ていて面白かったな。
文学フリマは本の売ったり買ったりする為に出掛けているのであって、知人のひとに逢えることは嬉しいけれど文フリクラスタとの交流目的ではないのですが、事務局主催交流会が好きなひとたちはそういう考えと異なるのかも知れません。そういう文フリエンジョイ勢は声のヴォリュームが大きいけれど、粛々と文学を頒布しているひとたちを大事にして欲しいなあと思いました。
というわけで交流会には出席せず、同ブースの山口さんと食事をしたあと、カレー王氏が連絡を下さったので、事務局主催交流会を終えた一部の方々と合流しました。私の右隣の二十歳の青年が窮屈な思いをしないように気遣いを見せながら呑むカレー王氏と、初々しく見えてしまうほど若いその青年が眩しかったです。左隣には伊織さんがいて「お姉ちゃーん」と云って甘えさせて貰いました。三次会のお店は「どうせ明日は雪でお客さんは来ないから!」と別のテーブルに荷物やコートを置かせてくれて、お支払いもだいぶ安かったのですが、大丈夫でしょうか……。
売行きは20冊強で30冊近く持ち込んだから、こんなものかな……。週半ばの祝日に東京の隅っこでひとが少なめでしたね。文学フリマ東京初売りの最新刊というものは無かったので、申し訳ない、また本を書こうと思いました。
『リップヴァンウィンクルの花嫁』岩井俊二監督・2016
『リップヴァンウィンクルの花嫁』をDVDで観る。
あらすじはジェットコースタ展開過ぎるし、辛い部分も多いのに、優しくちいさいものを穏やかに掬ってゆく映画だった。
黒木華という女優さんは、二十代なのに蒼井優の十代後半の面影があって、ガーリーな描写がとても似合う。ちいさくちいさく喋り、微笑み、くすんくすんと泣く彼女が、終盤荒々しいほどの号泣を見せる。
綾野剛は最近知った俳優さんだけれど役柄に対してとても繊細に徹していると思う。なんの役でも出来そう。逆に、Coccoにあたる役はいつもCoccoのいつかの歌詞みたいな役柄の側面があってあまり好まないけれど、よく考えればCharaが演じたグリコだってCharaだった。SalyuがSalyu名義ではなかったリリィ・シュシュは特殊。
忍成修吾がエキストラ? と思ったけれど、勘違いなのか判らない。星野修介に似ている顔が一瞬見えたけれど、『リリィ・シュシュのすべて』撮映よりもう10年以上経っている。
オリジナルサウンドトラックが殆ど無くて、“歌の翼に”が流れるところが懐かしくて痺れた。結婚式の選曲に式の定番曲がひとつも無いので気持ちが良い。
ところで、本当にリップ・ヴァン・ウィンクルだったのは、誰だったのだろう? アーヴィングの短編小説の「リップ・ヴァン・ウィンクル」は兎も角、米語慣用句ではこの語は「時代遅れの人」「眠ってばかりいる人」という意味がある。ななみが作中、時代の慣習に流されるままになってしまうところや、真白がAV女優であると知って酷く戸惑い安室に電話で問い合わせてしまうところ(昨今、友人がAV女優だと聞かされてそんなに取り乱すものだろうか?)むしろ2016年トーキョーを記録したこの映画自体が、若しくは制作自体が、いつか未来に観たら一種のリップ・ヴァン・ウィンクルと云えてしまうのではないだろうか? それでも、今を切り取る。今のトーキョーの何処かで確かに起こったこと。それがこの映画なのだと思う。
岩井俊二作品を普段からの《岩井俊二監督作品が好きだ》という気分よりも《この作品が好きだ》と感じた映画だった。