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flea tokyo, 23

 文学フリマはURLやtwitterハッシュタグ上ではbunfree、フリーマーケットならばflea marketというスペリングだからbunfleaと書くのが正しいと指摘するひとがいますが、文学フリマは主催側から恣意的にfreeという表記を使っています(公式サイト参照)。

 23日は第二十三回文学フリマ東京にて本を売っていました。『すな子へ』と『オートカクテル2015耽美』の売れ行きがよかったので、画家さんによる本は強いなあ、と思いました。前者は冨田風子氏、後者はなかの真実氏の画の装幀です。

 

すな子へ

すな子へ

 


 

文藝誌オートカクテル2015 耽美 (白昼社文藝誌オートカクテル)

文藝誌オートカクテル2015 耽美 (白昼社文藝誌オートカクテル)

  • 作者: 伊藤なむあひ,にゃんしー,赤木杏,ひのはらみめい(そにっくなーす),山本清風,牟礼鯨,霜月ミツカ,恣意セシル,ちょまっこりーな,馬場めぐみ,水銀,eb,泉由良,なかの真実
  • 出版社/メーカー: 白昼社
  • 発売日: 2015/10/10
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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 久しぶりに斜めさんのお姿を拝見して、ちょっと泣きそうになりました。最初、ふわっ斜めさんっふあっ!とか云いながら嬉しくて、斜めさんに触るか触らないかの手つきで掌をひょろひょろさせていたら、「なんでエアなんですか」と突っ込まれ、そして肩を抱かせて頂きました。ああ!

 他にも出逢えた方々。電子書籍を書いていらっしゃる方々や、でんでんコンバーターのろすさんがブースに続々といらっしゃって驚きました。電子書籍を書きながらtwitterなどで知り合って、では文学フリマというものに行ってみようかなと思って下さったなら、ありがたいことです。皆さん、twitterアイコンに似ていて面白かったな。

 文学フリマは本の売ったり買ったりする為に出掛けているのであって、知人のひとに逢えることは嬉しいけれど文フリクラスタとの交流目的ではないのですが、事務局主催交流会が好きなひとたちはそういう考えと異なるのかも知れません。そういう文フリエンジョイ勢は声のヴォリュームが大きいけれど、粛々と文学を頒布しているひとたちを大事にして欲しいなあと思いました。

 というわけで交流会には出席せず、同ブースの山口さんと食事をしたあと、カレー王氏が連絡を下さったので、事務局主催交流会を終えた一部の方々と合流しました。私の右隣の二十歳の青年が窮屈な思いをしないように気遣いを見せながら呑むカレー王氏と、初々しく見えてしまうほど若いその青年が眩しかったです。左隣には伊織さんがいて「お姉ちゃーん」と云って甘えさせて貰いました。三次会のお店は「どうせ明日は雪でお客さんは来ないから!」と別のテーブルに荷物やコートを置かせてくれて、お支払いもだいぶ安かったのですが、大丈夫でしょうか……。

 売行きは20冊強で30冊近く持ち込んだから、こんなものかな……。週半ばの祝日に東京の隅っこでひとが少なめでしたね。文学フリマ東京初売りの最新刊というものは無かったので、申し訳ない、また本を書こうと思いました。

 

 

Rip van Winkle

 『リップヴァンウィンクルの花嫁』岩井俊二監督・2016


 『リップヴァンウィンクルの花嫁』をDVDで観る。
 あらすじはジェットコースタ展開過ぎるし、辛い部分も多いのに、優しくちいさいものを穏やかに掬ってゆく映画だった。

 

 黒木華という女優さんは、二十代なのに蒼井優の十代後半の面影があって、ガーリーな描写がとても似合う。ちいさくちいさく喋り、微笑み、くすんくすんと泣く彼女が、終盤荒々しいほどの号泣を見せる。
 綾野剛は最近知った俳優さんだけれど役柄に対してとても繊細に徹していると思う。なんの役でも出来そう。逆に、Coccoにあたる役はいつもCoccoのいつかの歌詞みたいな役柄の側面があってあまり好まないけれど、よく考えればCharaが演じたグリコだってCharaだった。SalyuSalyu名義ではなかったリリィ・シュシュは特殊。
 忍成修吾がエキストラ? と思ったけれど、勘違いなのか判らない。星野修介に似ている顔が一瞬見えたけれど、『リリィ・シュシュのすべて』撮映よりもう10年以上経っている。

 オリジナルサウンドトラックが殆ど無くて、“歌の翼に”が流れるところが懐かしくて痺れた。結婚式の選曲に式の定番曲がひとつも無いので気持ちが良い。

 ところで、本当にリップ・ヴァン・ウィンクルだったのは、誰だったのだろう? アーヴィングの短編小説の「リップ・ヴァン・ウィンクル」は兎も角、米語慣用句ではこの語は「時代遅れの人」「眠ってばかりいる人」という意味がある。ななみが作中、時代の慣習に流されるままになってしまうところや、真白がAV女優であると知って酷く戸惑い安室に電話で問い合わせてしまうところ(昨今、友人がAV女優だと聞かされてそんなに取り乱すものだろうか?)むしろ2016年トーキョーを記録したこの映画自体が、若しくは制作自体が、いつか未来に観たら一種のリップ・ヴァン・ウィンクルと云えてしまうのではないだろうか? それでも、今を切り取る。今のトーキョーの何処かで確かに起こったこと。それがこの映画なのだと思う。

 岩井俊二作品を普段からの《岩井俊二監督作品が好きだ》という気分よりも《この作品が好きだ》と感じた映画だった。

   

【主催web 浮遊区域白昼社

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